2017年1月に実施した東京大学での上映会について、主催してくださった水谷みつるさんが執筆されたレポートを掲載します。
【報告】「障害」と「健常」、境界を問う――『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』をめぐって――
ドキュメンタリー映画『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』(監督:佐々木誠/61分/2016年)を上映し、対話する企画を、2017年1月9日(月・祝)13時から17時まで、東京大学駒場Ⅰキャンパス 21 KOMCEE West K303にて開催した。主催はUTCP上廣共生哲学寄付研究部門L2「共生のための障害の哲学」で、同映画を製作したマイノリマジョリテ・トラベル・クロニクル実行委員会に協力をお願いし、筆者が企画協力および対話ファシリテーターとしてかかわった。同映画の東京での上映は、満席だった2016年3月のプレミアに続き2回目で、定員35名のところキャンセル待ちが出るほどの申し込みがあり、当日は37名が集まった。
「東京境界線紀行」プロジェクトと映画『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』
近年、障害のある人の表現にかつてないほどの注目が集まっている。それだけでなく、「障害の有無」を問わないと謳い、多様な人々に門戸を開いた展覧会や公演、ワークショップなども増加している。しかし、障害がある/ないとはどういうことだろうか? 10年前に、この問題をラディカルに問い直した企画があった。マイノリマジョリテ・トラベル主催のパフォーマンス「東京境界線紀行『ななつの大罪』」である(注1)。
マイノリマジョリテ・トラベル(略称「マイマジョ」)は、樅山智子氏(作曲家)の呼びかけで 2005 年に立ち上げられ、翌2006 年にかけて羊屋白玉氏(演出家、劇作家、俳優、「指輪ホテル」芸術監督)と三宅文子氏(プロデューサー)をクリエイティブ・チームに迎えて、「東京境界線紀行」プロジェクト(明治安田生命社会貢献プログラム「エイブルアート・オンステージ」第2期パートナー)を実施した。その際、パフォーマーを集めた公募の条件は、「自らの特徴や背景が社会の構造から排除されているが故に、生活において〈障害〉を経験したことがある人。そして、その〈障害〉を自己認識し、魅力と捉えてカムアウトした上で表現活動を行える人」であった。
同プロジェクトは、公募で集まったメンバーそれぞれのアイデンティティの文脈を訪ね合う「旅」を共有することから始まった。性的マイノリティでアルコール依存症の人々の話し合いに参加したり、路上生活者と車いす利用者が労働を交換するシェアハウスを訪ねたり、アルトログリポージスという障害をもつメンバーの半生に耳を傾ける講談を開催したり……。異なる視点をもったメンバーたちが東京の複数の層を一緒に旅することで、「マイノリティ」と「マジョリティ」の立場が相対的であり、線引きはその場その場で移り変わることを、身をもって体験するのが目的だった。そして、そのパラダイム・シフトの共同体験をもとに、旅をキーワードにしたパフォーマンス作品『ななつの大罪』を創り、発表した(2006 年 4 月 30 日、東京)。都バスの中で繰り広げられる「バス・クルーズ」、スゴロクを片手に路上をめぐる「探検クルーズ」、倉庫が劇場となる「ステージ・クルーズ」の全三幕で構成される同作品は、反転する東京の境界線の内と外を、観客とともに行き来する旅であった。
プロジェクトの始動からパフォーマンスまでの一連の経過は、映画監督の佐々木誠氏によって克明に記録されていた。その記録に、10年の歳月を経て改めて撮影した関係者の証言を加え、ドキュメンタリー映画としてまとめたのが、『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』である。
筆者が同プロジェクトと映画について初めて知ったのは、2016年3月、映画完成とともに開かれたフォーラムと上映会「東京境界線紀行2006→2016」の際だった。その両方に参加して、「こんなにおもしろい企画が10年前にあったのか!」と衝撃を受けた。何より、公募の条件に示された「障害」のとらえ方に、深く共鳴した。そこでは、「障害」は決して自明なものでも、他者から規定されるものでもなく、自らが自らであるがゆえに社会構造から排除されるという経験を通して、自己認識するものであり、さらには魅力として発信し、表現するものだった。
上にも書いた通り、障害のある人との協働を謳うアート系プロジェクトの広報に、「障害の有無を超えて」等の文言が書かれていることは珍しくない。一見、多様性と共生に開かれているようであり、実際、そうした方向を目指していると思われるが、しかしそこで、何をもって障害がある/ないとするのかがどれほど正面から問い直されているかというと、疑問が残る。それに対し「東京境界線紀行」は、プロジェクトのフレームワーク自体が、「マイノリティ」と「マジョリティ」の立場の相対性と反転可能性の認識のうえに、「障害」と「健常」の境界線を揺るがし、引き直し続けるものになっており、その点で他とは一線を画すように思われた。
また映像は、プロジェクトの舞台裏や、ぶつかり合いを含む参加者同士の一筋縄ではいかない関係性(ある者は「本気で喧嘩した」と回想する)も記録しており、異なるマイノリティ性をもった複数の人間が協働することの困難を包み隠さず映し出していた。なかでも印象的だったのは、「車いすに乗ってみたい」と言う参加者に対し、ストレッチャータイプの車いすを使う別の参加者が、問題提起で応答する場面である。彼は言う。「一つだけ聞きたいんですけど、車椅子体験行きたいって言うなら、もう完璧に皆さんを固定させていただいて、あわよくば背中に麻酔注射でも打って、神経なくすかもしれない勢いでやっていただくかもしれないんですけど。そこまで本気でやるんだったら、車椅子も用意します。なんで私がこれを提起したかというと、この場でほんとにそれをやる必要性があるかを問いたかった。単にちょっと乗ってみたいから持ってくるだけだったら、やる意味がない。ほんとに境界線ということを理解するのであれば、徹底的に丸々一日、シートからケツを離さないくらいの勢いでやらないといけないと思う」(注2)
さまざまな境界線を行き来する「旅」を共有すると言っても、当然ながら互いのアイデンティティや経験の交換はできない。では、そこで共有されるものは、境界線の可変性のほかに、果たして何なのか? そして、その体験は何をもたらすのか? すっきりした解答や納得を与えてくれるというより、多くの問いを突きつけてくるプロジェクトであり、映画だと筆者は感じた。だからこそ、ただ映画を見るだけでなく、そこから生まれてくる問いを掘り下げ、議論することが重要だと考え、今回の上映と対話の会を企画するに至った。
背景をめぐるレクチャーとトーク
以上が今回の企画の背景である。ここからは、当日の進行について記していきたい。全体を大きく2つに分け、前半の約2時間半がプロジェクト関係者によるトークと映画上映、後半1時間20分ほどが対話という構成だった。
前半の冒頭では、学生時代にプロジェクトにインターンとしてかかわり、現在は九州大学大学院芸術工学研究院コミュニケーションデザイン科学部門助教を務める長津結一郎氏から、障害とアートをめぐる日本の現状についてレクチャーをいただいた。内容は要約すると以下のようなものであった。
障害のある人の表現に関係する新聞記事を分析すると、1990年代から記事数が右肩上がりに増えている。形容動詞の頻度を解析すると、「自由」「豊か」「可能」「独特」「鮮やか」「大胆」などが多く用いられていることがわかる。だが、「自由な発想」「自由な表現」といった定型的な語りから、こぼれ落ちていくものについて考えなくてはならないのではないか。
浜松のクリエイティブサポートレッツ代表は、「パラリンピックは障害者のエリートの祭典」と言ったが、障害者と名指される人々のなかでも、さらにマイノリティとなる人々が排除されていないと、健常者である自分たちは言い切れるのか。健常者によって存在を許容された者だけが表象され、ダイヴァーシティの名のもとに可視化されているのではないか。
昨年8月にNHKのバリバラによる24時間テレビのパロディ番組が放映され、大きな議論を巻き起こした。その時、義足のダンサー、森田かずよは「24時間的な感動か、バリバラ的な笑いか。この2つしか障害者の描き方がないのは、しんどい。そのあいだに、多くの当事者がいると思うから」と言った。感動が生む排除を、笑いでインクルージョンしようとしても、その手法自体に笑えるか、笑えないかという笑う側の視線が内包されており、新たな排除につながるのではないか。
日本では知的障害や精神障害のある人の表現に注目が集まっているが、彼らの多くは言説の資源をもたず、周囲の人の手が加わられなければ、彼らの作品が世に出ることも、作品として認識されることもない。つまり、障害のある人やその作品を社会に出すことは、その周りにあるかかわりが表面化していくことにほかならない。関係性の問題は非常に繊細で、かかわる人のふるまい次第では、搾取や更なる差別も生じ得る。しかし一方で、目の前にいるあなたと私の違いに気づかされて、自分自身の存在が揺らがされるような体験をすることもある。それによって、新しい作品が生まれると同時に、いままでの価値観とは違う新たな価値観が芽生えるような、相互作用も生まれ得る。それを自分は「共犯性」と呼んでいる。作品をどんどん世に出していくことももちろん大事だが、作品がつくられる場や、作品を介して紡がれる関係性に目を向けることで、この分野を違った目で見ることが可能になるのではないだろうか。
次に、作曲家でマイノリマジョリテ・トラベル主宰の樅山智子氏から、プロジェクトと映画の背景について解説していただいた。要約すると以下のような話であった。
エイブルアート・オンステージの話をもらった時、「障害のある人たちとともに」と言いながら、障害のあるなしの境界線をどこに引いているのかという前提をクリアにしないまま、話が進んでいることに違和感をもった。だからまず、仮でもいいので自分たちの言葉で障害を定義するところから始めた。「ある人の身体的、精神的特徴や、または文化的、社会的背景が社会の構造においてマジョリティから排除される時に、その特徴や背景が障害として経験される」、つまり、障害はもって生まれるものではなく、体験するものだと定義した。そのうえでオーディションを実施し、結果として、複数の身体障害、精神障害、性同一性障害、摂食障害、感情障害などを自認している人たち、セクシュアル・マイノリティ、元ホームレス、在留外国人など、20代から60代までの幅広い年齢層の参加者が集まった。
彼らは同じ東京でも違う世界にアクセスする鍵をもっている。そこで、お互いに自分の世界に招き合って、訪ね合う旅(キャラバン)を重ねた。たとえば、「レズビアンである」ということが自分のマイノリティ性だと自覚して参加した人が、車いす使用者と路上生活者のシェアオフィスに行くと、その場においては「自分の足で歩けること」や「住む家があること」がマイノリティの線になるかもしれない。そうやって、コンテクストが変わるごとにアイデンティティが変わるというパラダイム・シフトの瞬間を拾い集めて、作品をつくった。そして、2006年4月に「東京境界線紀行『ななつの大罪』」として発表した。バス・クルーズ、体験クルーズ、ステージ・クルーズの全三幕、丸一日を通して、観客は「あなたはどこに線を引きますか?」と問いかけられた。
それなりの反響、批評を得たが、記録の公開ができないまま10年が経ち、他界したメンバーも複数いる。見回すと、2020年オリンピック・パラリンピックを控え、ダイヴァーシティや社会的包摂、ノーマライゼーションが頻繁に言われるようになっている。だが、10年前といまで、社会は変わっているのか、いないのか? 改めて検証する必要があると思い、映画をつくった。だから「10年目の検証」とは、プロジェクトがどうだったか、というだけではない。社会がこの10年でどうなったか? いま私たちはどう思うのか? それを検証し、議論するための出発点として映画を使ってもらえればいい。
このように話したあと、樅山氏は、映画を監督した佐々木誠氏と、パフォーマンスに演出家としてかかわった羊屋白玉氏を紹介した。二人が一言ずつ話し、映像上映に移った。
映像上映とクロストーク
約1時間の映像上映のあと、軽く休憩を挟んで、樅山氏、佐々木氏、羊屋氏、長津氏によるクロストークを行なった。
口火を切ったのは羊屋氏で、ナレーションも字幕もない編集に触れ、「アウトプットの仕方で私たちの態度がわかるから、どうアウトプットしていくのがいいのか」と問題提起した。実は、一部のパフォーマーの声は構音障害のために聞き取りにくく、筆者自身、何を言っているのかよくわからない場面もあった。羊屋氏も、「初めて会った時は聞き取れなかったが、一緒に過ごしてわかるようになった」という。それを受けて、佐々木氏は監督としての考えをこう説明した。「地上波で障害者の性に関するドキュメンタリーをつくった時は、多くの人に理解してもらうために、ナレーションを入れ、テロップも全部入れた。しかし、今回のような企画はわざわざ足を運んで見てもらうものなので、そういうのは必要ないんじゃないかと考えた。その都度、作品をまったく変えている」 続けて樅山氏も、「ここは聞きにくいでしょって決めて、そこだけテロップをつけるのはないなと思っている。全部わかる必要はなく、一生懸命聞いてもらえればいい」と言った。
ここで羊屋氏が、「どのくらいわからなかったか」を会場に聞いた。なかには「70パーセント聞こえなかった」という参加者もいたが、「映画を見ている最中に、だんだんと聞き取れるようになった。あと、自分にとって大事なフレーズは聞き取れた」という人もいた。羊屋氏が「大事なフレーズとは?」と尋ねると、「一番印象に残ったフレーズは、佐々木さんが自分は障害のことはわからないと言った時の『それでいいと思う』という返事。あそこは自分のなかですごくストンと来た」とのことだった。それを受けて、長津氏が、「聞き取れる言葉をしゃべっているはずなのに、入ってこない、聞こえないこともある」と指摘した。人の言葉を聞けるかどうかは、音声が聞き取れる/聞き取れないだけの問題ではないのである。
その後、話題は、これまで行なわれた上映会での観客の反応に移った。樅山氏が一番、印象に残っている感想として挙げたのは、「こういう企画に興味をもって会場に足を運ぶ人でない人に、どうやって伝えていくのか。伝えていかなくてはいけないが、どう解決すればいいのかわからない」というものだった。一方で、「障害者を憐みの対象として見たら、なぜいけないのか?」「障害者というカテゴリーによって人々は守られているはずだから、障害者はずるいと思う。なのに、なんでそうぎゃあぎゃあ言っているの?」といった感想もあったという。また、神戸の上映会で震災の話題が出て、「社会が混乱している時に多様な人たちがどう一緒にいるべきかを生で体験した世代の人たちが、その体験をいろいろ話してくれた」のも印象に残っているという。その際には、「この映画を相模原の事件の人が見ていたら、絶対、事件は起こらなかっただろうに」という意見もあったそうだ。
続けて、会場からの質問を受けた。最初の質問は、「映画の最後に『マイマジョとは何だったのか?』という質問があったが、樅山さんだけそのシーンがなかった。どう思っているのか?」というものだった。樅山氏は、「わからない。わからないから、こんなに騒いで映画にしちゃってる。でも、わからないで済ませられない何かが引っかかってる」と答えた。
二つ目の質問は、制作過程での判断――たとえばオーディションの合否や個別のエピソードを作品に取り入れるか否かなど――の基となる評価の軸を問うものだった。まずオーディションについては、樅山氏が「オーディションはしたけれど、全員合格だった」と答えた。続けて、羊屋氏が制作過程について説明した。「歩くところから始まって、会話のシーンがあってという構成は立てたが、なかは、テーマとかコンセプトをみんなに伝えて、勝手にやって欲しいと言った。でも、そのために練習はした。人が見ていると、これが受けるんだな、そのなかでも僕はこれが言いたいんだってことが定まってくるから、そのままやってもらった。だから、あまり誰もジャッジしてない」 しかし、樅山氏によれば、「そこはつまんないみたいな話はした」という。「そうするとその話題はやめようとなる。やっぱりみんな受けたい」と羊屋氏がつけ加えた。
これらの発言から伺えるのは、参加者にとってリハーサルが、他者の視線を借りて自分の発信したいことを客観視し、表現として練り上げる機会になっていたことである。自分の言いたいことと他者に受けることのあいだで試行錯誤し、自ら何をどう表現するかを決めていく過程は、一人ひとりの「魅力」をさらに引き出すことにつながっただろう。そしてそれは、観客としてパフォーマンスに立ち会った人たちのおもしろさにもつながったのではないだろうか。作品をライヴで見たかったと改めて思わせる質疑応答であった。
問いを選び、グループでの対話へ
休憩を挟んで後半は、映画から喚起される、皆で話したいと思う問いを挙げてもらうことから始まった。10個ほどの問いが出されたが、そのなかから似たような問いをまとめて整理し、多数決で以下の4つの問いを選んだ。そして4つのグループに分かれ、対話を行なった。ゲストも筆者も、参加者と一緒に対話の輪に加わった。
(1)障害の境界線はあるのか? 境界が移動する時はどんな時か?
(2)マイノリティ性にアイデンティティを持つことについて。自分のなかにマイノリティ性を感じていない人のアイデンティティとは、どのようにつくられるのか?
(3)境界線とどのように向き合えばいいのか? 社会のなかで生きる以上どうしても引かれることがある。
(4)「元気な人」が増えるにはどうしたらいいか? マイノリティのなかの更なるマイノリティとどう向き合うか?
(4)の問いについては、少し補足が必要だろう。パフォーマンスの出演者たちは、元気で表現をしたい人たちだったが、そうでない人もいる。そうしたマイノリティのなかでも、更にマイノリティになりがちな人たちと、どう向き合うべきか?というのが、問いを提出した人の意図だった。
また、その他に出た問いは、以下のようなものだった。
・アートとそうでないものの境界は?
・アートに何ができるか?
・見えない障害(吃音など)と社会はどうつきあうべきか?
・障害を意識している人と、ふだん意識することのない人はどのようにかかわればいいのか?
・人にとっての「生きづらいこと」とは何か? 生きやすく変えるには何が大事か?
全員での対話
30分ほど対話したのち、全員での対話に移った。大きな輪をつくり、まず、各グループの対話の内容をシェアし合った。
障害の境界線について対話した(1)のグループでは、「社会という視点で考えた場合は、行政や福祉の問題などがあるのでカテゴライズは必要。しかし、個人という視点で考えれば、グラデーションでつながっているところに線を引くのは難しい」といった話が出たという。
(2)のグループは、「マイノリティ性」や「アイデンティティ」とは何か?を問うことから始まり、それぞれがそれぞれの経験や考えを話して、とてもライヴ感のある対話だったという。たとえば、障害当事者からの「障害者とされると、外からはその障害をアイデンティティと思っていると見なされる。社会のなかで排除やストレスを感じた時に、自分が障害者だと思わざるを得ない環境もある。でも、アイデンティティとかマイノリティとかに行き着く前に、自分は何ができるかということを考えている最中だ」といった発言があったという。
境界線との向き合い方について対話した(3)のグループは、マイクを手にした参加者が、「皆が個人的なエピソードを中心にいろいろ話したので、まとめてしまうと、自分がそのまとめによって、包摂するものと排除するものを区別してしまうことになる。そういうタイプの話し合いではなかったので、まとめられない。というのは、私の意見」と報告し、会場から拍手が起こった。
マイノリティの内部で更に生じる差異をテーマにした(4)のグループでは、「最終的には、みんな違って、みんないいということに収束した」という。ただ、「結論はそうだったが、ああした人たちが映画に出ることによって、皆が共有できるものもあると思う。実はそれを議論したかったが、時間切れでできなかった」という参加者もいた。
そこで、この最後の発言を出発点に、全員での対話に入った。まず発言者が自分の考えを補足した。「映画に出てる人たちは非常にエネルギッシュで、表現したいことがあり、アクティヴに生きている人たちだが、そうではない多くの当事者にとっても、彼らがやってることは非常に手掛かりになるというか、こういうことを言っていい、表現していいという一つのモデルになる気がする。だから、あれを目指してはいけないけれど、ああいう人たちがいることが、それを真似できない人たちにとっても結構プラスになるという印象をもった」
これにはじめに応答したのは、映画を監督した佐々木氏だった。「フジテレビで番組をつくった時も、アクティヴな人たちがいっぱい出ていて、そうでない障害者の人たちがツイッターでディスる現象が起きた。あの人たちは特別な人たちだし、障害者のなかでもエリートだから、と。でも、そういうふうに発言する人はまだエネルギッシュで、そこにも浮上してない人たちがいるのかなあと感じた」 続けて樅山氏が、「健常者だって障害者だって、俺はかっこいい奴しか撮らねえよ」という佐々木氏の言葉を紹介し、「その通りだと思う」と言って、こうつけ加えた。「作品に関しては、どうやってその作品が強度や説得力をもち得るかを考えてやっている。今回は、障害を魅力として捉えられる人というのが条件にあったので、そういう人たちが集まった。でも、マイマジョは障害者のエリートだと、その頃も言われていた」
「作品」という問題が出たところで、今度は別の参加者が違った角度から発言した。「映画を見ていて、ずっとすごくいい意味でモヤモヤする感じがして、境界線というものについて考えさせられる部分があった。でも、自分のなかで、逆にストンと落ちてしまった瞬間があった。それは、最後、演劇のパフォーマンスが終わった時に、見ていた人たちが拍手をした瞬間。アートとしての非日常性みたいなところに、あの瞬間に追いやられたというか、そこでもやもや感がすっとガス抜きされてしまった」 これを受けて、佐々木氏が「あれ、若干、拍手、盛ってます。映像怖いすね」とそこにも作為があることを明らかにし、会場は笑いに包まれた。が、ふいを突かれて思わず出てしまったこの笑いは、参加者にとって「作品」や「ドキュメンタリー」について改めて考える契機となっただろう。
こうした議論を受け継ぎつつ、前半の最後ともつながる発言をしたのは、「演劇をアホみたいに見ている」と自認する参加者だった。「拍手でストンと終わってしまって、消費されてしまうことへの違和感は、私にもある。敢えて拍手が起こらないようなとんでもないことして終わる人もいるけれど、何もそれだけが違和感を起こす方法ではない。見て、拍手をしたけれど、ずっともやもやが残ることだってある。このプロジェクトがおもしろかったのは、選ばないこと。自分のイメージと合うものをチョイスして作品にするという方法もあるけれど、それをしないからおもしろい。一人ひとりと関係をつくっていくと、どの人にも実はおもしろいところがある。アクティヴかどうかの違いはあるかもしれないが、おもしろい人とおもしろくない人がいるわけではなくて、人間は皆おもしろい。そう信じてかかわっていくと、その人のおもしろさが見える。もしおもしろさが出てないなら、それは見る側の問題というか、こちらがそれをキャッチできないから、かたちにできない。いろんな手を使って、かかわりをもつなかでおもしろさを見ていって、それをまとめたから、おもしろい。何かかたちにするために、人々を駒のように使っていない。そこに魅力を感じた」
現実と虚構、記録と作品、アートと福祉、作家性と協働性など、障害と健常、マイノリティとマジョリティにとどまらない、さまざまな境界線がテーマとして浮上して、これからいっそう議論がおもしろくなるところだったが、残念ながらこのあたりでほとんど時間が尽きた。最後に手を挙げた参加者からは、「アートについての議論が少なかった。アートがどこに向かっていくべきかについて、議論できたらもう少しよかった」という感想が聞かれたが、それを突っ込んで議論するにはもっと時間が必要だっただろう。
締めくくりとして、ゲストに一言ずつコメントをお願いしたが、そこでも「アート」が問題になった。羊屋氏は、10年経って「アート」という言葉の意味合いが変わったことを指摘しつつ、「私は演劇をつくったつもりでいたので、アートの話はちょっとできない」と、「アート」という言葉で括られることへの違和感を語った。樅山氏の考えは少し違っていた。「何をもってアートと言うかも境界線の問題。コンテクストによっても違うし、文脈によっても違う。私はマイマジョの時に、これが障害だととりあえず言ってみたつもりだし、これがアートだと自分では言ってたつもり。やっぱり、そうやって定義をしていくしかないし、定義するだけじゃなくて、対話を重ねていくしかない。しんどい作業だけど、していくことには意味があると思うし、この映画がそういった話し合いのきっかけになればすごく嬉しい」 会を締めくくるにふさわしいコメントであった。
最後に一言つけ加えると、今回の映画上映と対話は、企画協力としてかかわった筆者のなかでは、2016年10月9日に開催したシンポジウム「障害とアートの現在――異なりをともに生きる」と連続するものだった。シンポジウムはその性質上、フラットな対話の場となることが難しい。そこで今回のイベントでは、後半において哲学対話の形式を借り、映画に触発されて生まれた、より抽象的で一般的な問いについて、ゲストも参加者も同じ立場で語り合うことを試みた。筆者の進行の問題や時間の短さなどがあり、それが充分に実現できたとは言えないかもしれないが、それでも、多くの参加者が個人的な経験や思いに立脚しつつ、真摯に対話に参加してくれたことをとても嬉しくありがたく思う。まだまだ議論したいことはたくさん残っていたが、考えることも対話することもイベントの一時で終わるものではない。参加者それぞれがもやもやした思いを抱えて帰って、日々の生活のなかで考え続け、さまざまなかたちで対話を続けてくれたなら、これ以上、嬉しいことはない。参加してくださった方々、ゲストとしていらしてくださった方々に心から感謝したい。
注1:以下の「東京境界線紀行」プロジェクトについての説明は、映画を製作したマイノリマジョリテ・トラベル・クロニクル実行委員会の文章をもとに、筆者が適宜、編集を加えている。
注2:以下、文中で鍵括弧に入れて示した発言はすべて、発言者の言葉通りではなく、読みやすさを考え、筆者が適宜、要約・編集している。
(文責:水谷みつる)
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