荒川裕子さん(福井芸術・文化フォーラム)による上映会レポートが掲載されています。
【福井】ハナスバ2017 / 9月 境界とともに生きるということ。 ― ドキュメンタリー映画『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』から考える ―
以下引用です。http://geibun.info/geibun/?p=3213
9月23日(土) [ 話す編 ]
「てつがくカフェ」
「哲学」と聞くと、有名な哲学者の名前を連想し、たいそう難しい場だと誤解する人が多いと思いますが、「哲学」とは、私たちが当たり前のことと捉えている事柄に対して、そもそもそれは何なのか?と根っこを考えることです。
「てつがくカフェ」では、集まった人どうしの上下関係はなく、誰もが平等な立場で発言をします。その中で「問い」を考え、その問いに対するゆるやかな定義をつくっていきます。一方的に自分の考えを言い放つ場ではなく、他者との対話を通し「問わなければならないことはいった何なのか?」じっくりじっくり考えていく場なのです。
今回のハナスバでは「てつがく対話」として、映画からテーマを決め、そこから出てくる言葉を吟味し、集まった人とその場でのゆるやかな定義をつくっていく過程を参加者の皆さんに体験していただきました。
まずは映画の感想などを自由に言い合いました。
「立ち位置によって境界線は変わる。健常者と障害者という分け方でなくなる」
「映画の最後の言葉にショックを受けた」
「普段は健常者なのに、マイノリティ側に歩み寄ることでの違和感を覚えた」
「マイノリティとマジョリティとうのは、単に数が多いか少ないか。多数派が世の中で主要な位置を占める」
「見た目で分らない障害もある。障害とはいったい何なのか」
「マイノリティ=生きづらい、という前提は成立するのか」
「障害者をひとくくりにしない」
「境界線をなくすことはいいことか。安易に引いて乗り越えるより正しく意識して線を引くことも大事では」
「自分はマイノリティの立場で苦しんできた。苦しみを分かってもらえないのがマイノリティとなるのでは」
「自分のことを分かってもらえる人が多いか少ないかで、マイノリティかマジョリティかになる。それは障害ということではない。痛みを共有できるかどうか」
「マイナー、メジャー、マイノリティ、マジョリティ、など言葉に勝手なイメージがついている」
「投げかける言葉に込めた感情で偏見に変わったりすることもある」
「障害は社会の側にあるのか、それとも個人の側にあるのか」
「障害者というと、その人個人のものになってしまう。境界線は自分の中にあるのか、社会との関係性の中にあるのか」
「当事者が発する障害と、他者が発する障害では意味合いが違う」
「マジョリティ側から境界線は見えないのでは。マジョリティ側から境界線が見えたとしても解決方法がないまま来ている。マイノリティ側からは境界線はよく見えるけれど、それはどうしようもなく境界線は残ったまま来ている」
「境界線はあって当たり前。境界線は自由に移動している気がする」
「マイノリティとマジョリティの使い方が、社会的にみて生産性がより高い、低いという意味に感じ、そこに違和感を覚える」
ここでテーマを「境界線」か「マイノリティ/マジョリティ」どちらにするか参加者に問い、「境界線」をテーマにしていくことにしました。その後、障害・健常という文脈において「境界線」を考える上での必要なキーワードを挙げていきます。
「社会制度をまわす意味において障害かどうか、分ける必要がある。そこが境界線のあり方として必要」
「境界がバリアとしてうつる場合は偏見や差別的視点が入るが、単なる境界としてみると、両側にあるのは違う世界で境界は際のこと。シャーマンと言われる異次元世界にいる人と人間世界を橋渡しするのがマージナルマン。違う世界があるということは肯定的に捉えている。(自分自身が)障害者関係に接することでいろんなことを学べることも事実としてあり、知らない世界を知ることにより差異に気づき、そこにおもしろさもあるのでないか。障害がある故に豊かなものが生まれることもあると思う。マイノリティというレベルがあることは世界にとっては恩恵ではないか」
「あなたとわたしがいる以上、境界線は立ち上がる。自分とあなたは違う。違うことで境界が生まれてくる。映画を観て、この映画のテーマは『反転』だと思った。音楽とか、差が感じにくい状況だと一体化し境界がまだらになる。しかし、わたしとあなた決定的に違う。境界は常に動いていくと思う」
「そもそも全員違うのに、境界線と使うのは何だろうか。ネガティブに考えると、乗り越えられなくてあきらめるもの。ポジティブに考えると、乗り越えられないけれどまあいいだろうと思う」
「手話を身につけるまでは聞こえる世界にいた。そのときはマージナルな立場であったと思う。単純に分けることはできないのではないか。橋渡し役はできる人もいればできない人もいる。できない不便さというのが障害なのではないか」
「境界線がある、ひく、とる、ひかない、ひけない、いろんな言い方がある」
「境界線があるというのは状態で、境界線を引くというのは行為である」
「境界線と言う言葉には感情が伴っている。主体的に考えているかどうか。区別は客観的、境界線は主観的」
「境界線を主観的にみると差別になることも。境界線というのは、社会の側にあるのか、個人の側にあるのか。それは、どちらでもある。歴史的なことにも関わってくるのではないか」
「『ある』と『ひく』は対になる言葉。『ある』とか『ひく』は何かと考えると、小さい時から身近に障害のある人がいる場合は、どう対応しようか自然と身につけているが、そうでない人にとっては、自分とは違うものに対して自然に分けてしまっていると考える。それは個人や集団が無意識から生まれる現象を意識してみるというのもが境界線があるということで、境界線を引くというのは意識されていなかったものを分類したもので、最初から意識的。意識と無意識で境界線がある、うまれる、ということに関わってくる」
「境界という二項対立を越えた先にダイナミズムなものが生まれてくる。境界が脱構築につながるのでは」
「境界線」をテーマにいろんな切り口で対話してきました。言葉を吟味するまでにはもう少し時間がほしいところでしたが、「境界線」という言葉について下記のような定義(この場での暫定的なものではありますが)をつくり共有したところで「てつがくカフェ」を閉じました。
「境界線があるとは、ある立場からみての違和感があること。境界線を引くというのは、その違和感に対応しようと踏み込んだときに、境界線を引くということ。その対応が、ポジティブな場合は受け入れる・ネガティブな場合は排除するということになる。境界線は、普遍的なものではなく対応の仕方で変わっていく。」
9月24日(日) [ 聴く編 ]
レクチャー「障害とアートについて」 長津結一郎(九州大学大学院芸術工学研究員助教)
長津さんは、ドキュメンタリー映画「記憶との対話」の元となった舞台作品「東京境界線紀行『ななつの大罪』」に大学3年生の時にスタッフとして関わり、現在はアート・マネジメントや芸術社会学の研究者で、最近では九州大学ソーシャルアートラボにてプロジェクトの実践にも携わっています。研究のテーマは「異なる人たち同士がともに生きていくための方法とそこにあるアートの役割」。
(レクチャーまとめ)
アート=芸術ジャンル(例えば演劇や音楽といったような)というのは近代的な考えで、アートはその価値を未来に向けて問うものであったり、世界の見え方や関係性を変える仕掛けであったり、認識や存在の仕方を揺さぶるものだったりもする。
美術館や劇場、音楽ホールといった既存の枠を超えて作品を発表する流れは近年増え続け、ホワイトキューブから空間へとその範囲を広げている。また、芸術祭やアートプロジェクトは、日常では出会わない人が入ってくることにより、これまでのコミュニティにはなかった考え方をもたらす、新しい価値観を生みだす仕掛けとして、各地で盛んに行われている。アートは社会に対して新しい価値観を提示したり、既存の価値観をずらしたり、つなぎかえたりする存在だと言え、システムに働きかける表現なのである。
文化芸術基本法では「国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるよう環境の整備をはからなければならない」と示している。最近では、障害者のアートを推進する動きが加速し様々な事業が全国的に開催されているが、障害者のアート活動に対する見方は「純粋である」「無垢である」と安易にまとめられがちである。障害の捉え方がネガティブなものとしてあり、乗り越えていくものという価値観によるものであるが、「障害学」から言えば、障害は個人に宿るものでなく、社会に宿るものであり(個人モデルと社会モデル)、障害とはいろんな因子が複雑にからみあってできているものである。障害は本来、個人の心身状況や、社会的環境などの複合的な要因が組み合わせられ生まれる相対的な概念であるのに、社会の側が障害をつくりだしている。
社会の中で生まれる「障害」をめぐる諸問題に対して、認識やその存在を揺さぶり、その価値を未来に向けて問う役割としてアートがあり、人と人との関係性を再構築するものとしてアートが必要とされている。
(レクチャーまとめ、ここまで)
トークセッション「10年目の検証が必要な理由とは?」<抜粋>
(登壇者)
樅山智子(マイノリマジョリテ・トラベルクロニクル実行委員会代表/作曲家)
長津結一郎(マイノリマジョリテ・トラベルクロニクル実行委員会/九州大学助教)
北山知春(自立生活支援センターCom-Support Project)
酒井晴美(みんなで舞台に立とうを広げる会代表/教諭)
荒川裕子(福井芸術・文化フォーラム)
トークセッションでは、実行委員会のお二人、障害当事者主体の権利擁護団体である「自立生活センターCom-Support Project(通称:コムサポ)」でコーディネーターをされている北山さんと、障害のある子どもたちと一緒に音楽や劇などの表現活動を行っている「みんなで舞台に立とうを広げる会(通称:みなぶた)」の代表である酒井さんに登壇いただきました。お二人の立ち位置からみて、この10年の障害のある人の環境がどう変化したかをお聞きしました。
荒川 舞台作品「東京境界線紀行『ななつの大罪』」の上演から10年。その間、障害のある人を取り巻く環境も変わり、法整備も進み、福井県では2018年4月から「共生社会条例(仮称)」が施行されようとしています。この10年、障害のある人を取り巻く環境が良くなったと実感することはありますか?
北山 まず2006年頃、芸術分野の方に障害のある人との境界線を考えてくれてる人がいた、ということが逆に衝撃的で、「ありがとうございます」と感謝を言いたい気持ちです。私自身は障害福祉分野でしかこの14年生きていないので、こういったパフォーマンスがあったことを知らなかったです。2000年から介護保険制度、2003年から障害福祉サービスが公的にスタートし、その時点では身体障害と知的障害のみが対象でしたが、2006年に障害者自立支援法が施行され、精神障害も盛り込まれるようになり、その前後に発達障害などの新しい障害に対する法律もできた、というのが時代背景としてあります。障害のある人に対する新しい法律ができたり、改正されたりと、サービスが整い外に出やすくなって環境は良くなった、生きやすくなってきたなと思います。社会は整ってきていると思いますが、その反面、私の感覚ではありますが、当事者がサービスの「受け手」になっていると感じます。健常者がサービスを提供する側、障害者がサービスを受ける側、ということが10年間の流れかなと思います。
荒川 「受け身になっている」と感じる部分について詳しく聴かせていただけますか?
北山 (全員に当てはまることではありませんが)障害福祉サービスという、“サービス”なんです。要求して提供されるものなんですね。障害のある人が自分でチョイスできる仕組みならいいと思うのですが、周りの人がよかれと思ってお膳立てしてしまうことがあります。例えば、ファミレスに行って、あなたサラダを食べた方がいいわ、といって食べたくないのにサラダを出されるような。障害者が、選ぶ人ではなく、待って提供される側になっていると思います。
荒川 若い障害当事者の方がおとなしい、という話を聞きましたが。自ら発信したり行動したりする人が少ないのかなと。
北山 (全員が全員というわけではありませんが)おとなしいと感じるところはありますね。これは障害者の運動論の話になるのですが、サービスがない時代は自分から要求していた。「自分もここにいるんだ。自分もこうしたい。車椅子でもどこにでも行きたい」と自分でアピールしていました。整ってきたのは良くなったということなんですよ。自分が介助者をしていた頃は、電車に乗るのも駅に1時間前には到着して、というのがありましたが、今では20分前に行けばスロープがあって、降りる駅にはこちらから言わなくても駅員さんが待っていてくれ、本当に整っているなと実感します。これは、本当に社会が良くなったということですが。声を発しなくてよくなったということです。
荒川 確かに良くなったと実感する部分もあありますが、まだまだ社会の側の理解は進んでいないと感じます。バリアフリーの建物も増えましたが、どこでも、というわけではなく。実際、今回の会場選びで言えば、条件のあうところは福井市内ではここだけ(市民福祉会館のボランティアルーム)でした。繁華街の飲み屋さんでバリアフリーな場所を探すのも大変ですよね。「みなぶた」を始めた10年前と今、障害のある人の表現活動という分野において広がりは出てきましたか?
ハナスバ2017/9月聴く編酒井 私が知る限りでは、10年前は就労した方のグループはありましたが、子どもを対象としたグループはありませんでした。私は知的障害の方と関わることが多いのですが、どうしても知的の方は、言葉でのコミュニケーションは難しいところがあるいっぽう、ノンバーバルなダンスや音楽などに趣向性があり、彼らはそこでは活き活きと表現します。障害のない子どもは習いたいことがあったら自分で選んで行けるけれど、当時は、障害のある子どもを対象にしたところはなく、まずは場を作ることから始めました。今では、そういった場は確実に増えていて、何年か前に冊子もできて配布され、来年国体があるのでスポーツ関係のクラブも増えています。諸手を挙げて良くなったとまでは言えませんが、場という面では確実に増えているなあと実感します。
ただ、やっぱりまだ「障害があるのにがんばっているね」というイメージがあり、どう払拭していけばいいかと考えています。「私たちは障害のある人の舞台発表のお手伝いしています」という言い方をしていて。「障害」という言葉を入れないと、参加者や周囲に適切に伝わらないこともあり、言葉探しはずっとしています。そこが私にとっての境界なのかもしれないですね。近々「市民劇」をやりたいなと考えています。「市民劇」なのだから福井市民誰もが参加してよいはずですが、そこにわざわざ「障害のある人も、ない人も」という言葉をつけないと伝わらない。自分の中にジレンマはあります。
表現するって、フラットな状態でつきあえる、お互いが刺激になるんですね。「みなぶた」をやっていて境界を感じたことはないし、逆に「ああなりたい」と思います。彼らは尊敬する演者なんです。
荒川 福井ではこの10年の間に、障害のある人の表現の場が増えた、広がったと感じます。共生社会条例(仮称)でも、芸術文化活動の振興が盛り込まれています。コムサポさんが企画された条例に関する勉強会で県の方から説明があり「才能のある人を伸ばす」ということをおっしゃっていました。本来、芸術文化は寛容であり、多様な人々が芸術文化を通してつながるもの。なかなかその側面が伝わりません。
(※上記に関して、後日、言葉足らずであった、ということが分りました。裾野を拡大することととの両輪で支援していくことが大切だと感じます。)
長津 「障害者芸術文化推進法」という法律が議員立法で新しくできようとしています。まだ条文は公開されていませんが(2017年9月24日時点)「芸術上価値の高い障害のある人の作品を支援する」ということも明記されるようです。「芸術上価値の高い」と、法律で価値について言及している文化芸術に関する法律は一つもないんですね。文化とは権利であって文化権です。文化とは頂きを高くすることも大事ですが、裾野を広げることも大切なことです。チラシに「障害のある」と書くことについてですが、「知るアクセス」の面から言えば、自分が行ってもいいかと、当事者が判断するために明記することも一つの考え方。書くことについてどうなのかと思っていることを見せつつ書くということもありかなと思います。
上記以外に、各方面から再演を望む声が多かったことや、同じメンバーで再演できなかったことなど、樅山さんからお話しいただきました。
樅山さんの言葉で印象的だったのは「あの一日に爆発的なことが起こった」。アイデンティティをテーマにしていることでのメンバー間のぶつかり合いは想像をはるかに超えるものであったとうかがえ、それが簡単に再演できない理由でもあったでしょう。検証するには10年の年月が必要だったのかもしれません。伝説的パフォーマンスから10年、世の中的にはサービスが向上したけれど、社会を構成する私たち一人一人の視座は変わらず、「マイマジョ」が再び現代に問いを投げかけたのはある意味必然だったと思います。
参加者からの「検証を通してちょっとでも10年前と変わっているなと思うこと、気づきはあるか」という質問に「どう答えていいかまだ分からない。分からないから上映会をし続けている。いっぱいあるしいろんな角度がある」と樅山さんは言います。「一人のアーティストとしては、作品をどう評価していくか言語化するために顧みる行為の一環として検証をやっているが、まだ言語は見つかっていない。しかし手ごたえは感じる」と。「10年前にマイマジョが行ったアートプロジェクトを、上映会と対話という形で検証し、参加者からの声や起こった対話を記録としてまとめ、上演台本を作ったりすることは、その一瞬にしか起こりえない体験としてのパフォーミングアーツをどうやったら別の形で検証し伝えられるか、という意味において。社会的に障害と健常の境界をどう考えるかについては、自分なりに言葉を獲得してきてはいるが、いろんな切り口での発見はまだあるだろうし、整理できていなくて、もう少し時間がかかると思う」と。
境界線についての問いは、一人一人が意識することから初めて生まれるのであって、何が問題なのか意識できない人が大半でしょう。それゆえ、今回のハナスバは、難しいと言われ続けましたが、なぜ難しいのか、そこを自分の言葉で説明できる人はほとんどいませんでした。何で難しいのか?その根っこを掘り下げていくにはまだまだ時間が足りないなと感じます。
「障害/健常」「マイノリティ/マジョリティ」について、問いを投げかけ続けている姿勢を見せていくことが大事なのかと感じます。今後も、大事なテーマとして、ハナスバでは扱っていきたいと思っています。
参加者からの感想
ハナスバ2017/9月聴く編・ 障害とアートに関わっているが、境界を横断する、なくす、とかす、などいろんな言い方をしている。自分は当事者かと問われたときに悩んでいたが、映画を観て、誰もが自分の中にマイノリティとマジョリティがありそれは反転するということを、10年前の舞台でやっていたことがとても印象的。
・ 映画の中で「分かんないって思いながらやっているのがいいよ」という言葉が励みになった。障害とアートの文脈の中で、エイブルアートだけでなくいろんな試みが行われているが、それをやり続けていくことで、何十年後かにでも新しい価値観が生まれてくるといいなと思う。
・ そもそも世の中に境界がありすぎるのに「健常/障害」と分けることはどういうことか。例えばこの場合、国家や民族にも当てはまると思うが、そこには越境や共生するイメージがもてない。人はそもそも対立するもので、理解されないことが人間らしさでもあると思う。
ハナスバ2017/9月聴く編・ (一般的に皆さんが想像する障害者イメージに近い立場の私から言うと)乱暴な言い方かもしれないが、境界線を引きたい人は引けばいいし、引きたくない人は引かなければいい。障害者として見られている自分自身も引くことがいいのか、引かないのがいいのか分からない。引かないのが理想であるが、人と違うという自分を主張するのも大事だと思う。
・ チラシに書かれている言葉を読んで参加してみようと思った。難しいなとは思ったが興味はあり、自分が考えていることとの答え合わせをしたかった。いろんな方面の方が境界線について考えてくれているのがうれしかった。
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