誰かが誰かを〈障害者〉と呼ぶとき、そこには線が引かれています。でも、どこからどこまでが〈障害〉で、どこからどこまでが〈健常〉なのでしょうか。〈マイノリティ〉と〈マジョリティ〉を分ける境界線は、誰によって、いつ、どのように引かれ、どのように見えるようになり、あるいは見えなくなり、どのように固定されて、どのようにずらされて、どのように忘れられるのでしょうか。

 マイノリマジョリテ・トラベルは、それらの境界線のあちらとこちらを行き来しながら、アイデンティティと差別の問題をいろいろな人たちと考えるため、2005年に作曲家・樅山智子の呼びかけで立ち上げられたアート・ユニットです。2005年から2006年にかけては、演出家の羊屋白玉(指輪ホテル)とプロデューサーの三宅文子をクリエイティブ・チームに迎え、明治安田生命社会貢献プログラム「エイブルアート・オンステージ」第2期パートナーとして、「東京境界線紀行」プロジェクトを実施しました。

 オーディションで公募したのは、「自らの特徴や背景が社会の構造から排除されているが故に、生活において〈障害〉を経験したことがある人。そして、その〈障害〉を自己認識し、魅力と捉えてカムアウトした上で表現活動を行える人」。そうして、脳性麻痺、アルトログリポージスなどの身体障害のほか、性別違和、摂食障害、アルコール依存症、レズビアン、うつ病、外国籍、元路上生活者など、様々なマイノリティ性を自認する表現者たちが集りました。

 メンバーそれぞれのアイデンティティの文脈を訪ね合うプロセスを通して、公演がかたちづくられていきます。性的マイノリティでアルコール依存症の人々の話し合いに同席させてもらったり、路上生活者と車いす利用者が労働を交換するシェアハウスを訪ねたり、福祉用大型バスに乗って県境を跨ぎライブを聴きに行ったり、アルトログリポージスという疾患を抱えるメンバーが半生を語る講談に耳を傾けたり、性別違和を自覚するメンバーによる一人芝居を観劇したり、摂食障害など様々なテーマの自助グループが集まるお祭りに参加したり…。異なる視点をもったメンバーたちが東京の複数の層をともにめぐることで、それぞれの〈マイノリティ〉と〈マジョリティ〉の境界線は絶えず問われ続け、そのインターセクショナリティ(交差性)が浮き彫りになります。「東京境界線紀行」は、お互いのアイデンティティが交差する場で起こる線引きの交渉の瞬間を共有するパラダイム・シフトの〈旅〉だったのです。

 その〈旅〉の共同体験をもとに、マイノリマジョリテ・トラベルは、観客参加型のパフォーマンス作品『ななつの大罪』を創り、2006年4月30日に東京の各地で発表しました。都バスの中で繰り広げられる「バス・クルーズ」、スゴロクを片手に路上をめぐる「探検クルーズ」、そして倉庫が劇場となる「ステージ・クルーズ」の全3幕により構成される本作品もまた、反転する東京の境界線の内と外を一日かけて観客とともに行き来する〈旅〉でした。

 「あなたはどこに線を引いていますか?」

 たたみかけるように、あの手この手で観客にこう問いかけ続ける「東京境界線紀行『ななつの大罪』」の公演は、作品を体験した人によっては世界観が変わってしまうほどの衝撃をもって受け止められました。プロジェクトに参加したメンバーたちのその後の生き方すらも変えた「東京境界線紀行」。その活動の本質を、その時その場に居合わせなかった、より広い観客にも伝えていきたい。

 しかしながら、人々のデリケートなアイデンティティの問題に踏み込んだ「東京境界線紀行」の記録を、そのまま一般に公開することはできません。時にはタブーにもなりえるような様々な属性をもった人たちが、創作のプロセスにも、公演そのものにも、関わっているからこそ、その記録の編集と公開には丁寧な検証と繊細なデザインを要します。

 「東京境界線紀行」から10年。参加者たちは2006年の『ななつの大罪』初演以降も作品が投げかけたテーマと向き合い、それぞれ各自の表現活動を続けていました。と同時に、様々な特徴を抱える当初の出演者の中には、残念ながらすでに他界してしまった人たちもいます。同じメンバーで再演することが不可能であるにもかかわらず、活動の記録が公開できないまま時は経ち、人々の記憶や気持ちも変容していきました。

 翻って、社会はどれだけ変化したのでしょうか。

 『ななつの大罪』発表翌年の2007年、日本は国連の「障害者権利条約」に署名しました(2014年に批准)。2011年には「障害者基本法」が改正されて“合理的配慮”という言葉が法律に明記され、2013年には「障害者差別解消法」が成立しています。「東京境界線紀行」が始動する前年の2004年に施行された通称「性同一性障害者特例法」には賛否両論ありますが、その頃を前後して、出生時に割り振られた性別が自分に合わないと感じる人たちがそれぞれに声を上げはじめ、多様な生き方に目が向けられるようになりました。2015年には渋谷区と世田谷区で同性パートナーシップ条例が発行され、LGBTQという言葉も一般的に使われています。テレビでは〈障害者〉の文化をめぐる様々な企画番組が注目を集めるようになり、日本の社会的マイノリティを取り巻く環境は改善してきたかのようにも見えます。

 しかしその一方で、ヘイト・スピーチは年々過激になり、自分とは異なる他者に対する無自覚な差別やインターネット上の匿名のいじめや人権侵害も横行しています。沖縄の基地開発における環境破壊や、原発をめぐる社会の分断など、マジョリティによるマイノリティの搾取や排除の構造は依然として残っており、むしろその格差は拡がっているようにも感じられます。2013年には東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決まり、多様性や社会的包摂、SDGsなどが標語として声高に唱えられる中、それらの言葉をめぐる思考や対話は置き去りにされています。これからますます少子高齢化と過疎化が進み、移民や難民の受け入れが重要となる日本社会において、アイデンティティの問題はより複雑になってゆくでしょう。

 社会を構成する一人一人が日々行っている線引きの行為を自覚することで、空虚になってしまった言葉たちの意味を取り戻すことはできないだろうか。

 このような思いからマイノリマジョリテ・トラベルは、今だからこそ、10年前の活動の記憶を掘り起こし、その問題意識を改めて現代に投げかけたい、と考えました。記録資料の利用と映像表現における法的解釈を十分に検討した上で、ドキュメンテーションとアーカイヴ公開の課題をクリエイティブに解決してみよう、と。そして、「東京境界線紀行」に関わった人々やそれらを取り巻く社会の10年間を追うドキュメンタリーフィルムを制作しました。

 検証映像『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』は、アーツカウンシル東京 平成27年度「芸術文化による社会支援助成」、およびmotion-galleryによるクラウドファンディングから支援を受け、2016年3月に完成しました。東京でのプレミア上映以降、各地で上映を重ね、その都度、異なる背景を持つ人たちと問いを共有し、話し合うことで、言葉を紡ぎ続けています。これもまた、映画を携えていろいろな場を訪れながら、それぞれの文脈に照らし合わせて現代の日本社会における〈障害〉と〈健常〉の境界線を再考する〈旅〉の試みです。